「武士道」を「客観的」に論じた世界的名著
バーク(英国の政治家)、
ジョージ・ミラー博士(アイルランドの歴史家)、
エマソン(アメリカの詩人)、
レッシング(ドイツの思想家)、
ラマルティーヌ(フランスの詩人)、
ブートミー(フランスの教育者)、
ハクスリー(英国の生物学者)、
アイザック・ペニントン(英国の医学者)、
フィヒテ(ドイツの哲学者)、
テーヌ(フランスの哲学者)、
シェークスピア(英国の劇作家)、
プラトン(古代ギリシャの哲学者)、
ビスマルク(ドイツの政治家)、
アダム・スミス(英国の経済学者)……etc.
これらは新渡戸稲造の名著『武士道』において、
「武士道」を説明するために引き合いに出された
諸外国の偉人たちの名前(のごく一部)です。
「武士道」という日本独自の精神性や行動様式を語るうえで、
新渡戸は数多くの西欧の思想哲学等と比較しながら、
極めて客観的な解説を行っていました。
別のいい方をすれば、
新渡戸は「武士道」に敬意を払い、日本を心から愛しながらも、
決して「国粋主義」的な書き方や分析をしていなかったのです。
そして「武士道」の美点だけでなく、欠点も冷静に論じつつ、
日本人の道徳観念の基礎となったサムライの精神を説いていると感じました。
それが当時米国で高く評価され、
やがて世界各国の言語に翻訳されて、
20世紀初頭に大ベストセラーを記録したのです。
ちなみに『武士道』は複数の出版社から発行されていますが、
今回はPHP研究所刊・岬龍一郎訳のバージョンを参照しました。
非常に読みやすくて理解が深まったので、
個人的にはこちらをぜひお勧めしたいと思っています。
武士の子供はどのように育てられたのか
(引用:第四章より、「少年の育てられ方」について述べられた部分)
軍記物語などで勇気ある者が手柄を立てる話は、少年たちが母親の胸に抱かれている頃から繰り返し聞かされた。もし小さな子どもが何かの痛みで泣けば、母親は「これしきの痛みで泣くとは、なんという臆病者でしょう。戦で腕を切り落とされたら、どうするのですか。切腹を命じられたらどうするのですか」と励ますのが常であった。
親は時には過酷とも思えるほどの厳しさで、「獅子はその子を千尋の谷底に突き落とす」と教え諭し、子どもたちの胆力を鍛えた。
冬のさなか、早朝に起こし、師匠のもとに素足で通わせ、朝食前の素読の稽古をつけてもらうこともあった。
処刑場、墓場、幽霊屋敷などの薄気味悪い場所へでかけることも、彼らにとっては楽しい遊び場であった。斬首刑が公衆の面前で行われていた時代には、少年たちはその恐ろしい光景を見に行かされただけでなく、夜遅くなってから一人でその場所を訪れ、さらし首に証拠の印をつけてくることを命じられた。
勇気の精神的側面は沈着、すなわち落ち着いた心の状態となって表れる。大胆な行動が動態的表現であるのに対し、平静さは静止の状態での勇気である。真に果敢な人間は常に穏やかである。決して驚かされず、何物にもその精神の均衡を乱さない。
そのような者は戦場にあっても冷静である。破壊的な大惨事の中でも落ち着きを保つ。地震にも動揺せず、嵐を笑うことができる。死の危険や恐怖にも冷静さを失わず、たとえば迫り来る危機を前にして詩歌をつくり、歌を口ずさむ。そういう人こそ偉大なる人と賞賛されるのだ。
(引用ここまで)
引用が長くなりましたが、武士の子供がどのような育てられ方をしたのか、
だいたいの様子が伝わってくるのではないでしょうか。
小さな頃から、どんな過酷な状況にも耐えられるように、
徹底的に勇気・胆力が鍛えられ続けていたことがわかります。
ここまで厳しく育てられたからこそ、戦場で命をかけて立派に戦えるのであり、
どんな状況でも動じることなく、冷静沈着に行動できたのでしょう。
例えば明治時代に日清日露戦争を戦った兵士たちの多くは、幕末の武家に生まれ、
おそらく上記のように厳しく育てられたものと想像しています。
そのおかげで、死屍累々の戦場でも恐れずに力を発揮できたのではないでしょうか。
戦後生まれのわが身を振り返ると、かつての武士の子弟たちに比べれば、
比較にならないほど温かい一般家庭で可愛がられて育ちました。
決して両親の教育を否定するわけではありません。
ただ、武士がいかに強くて度胸が据わった別次元の人々だったかが、
こうした子育ての面からも思い知らされたのです。
「切腹」について
(引用:第十二章より、「切腹」について述べられた部分)
サムライの切腹は法制度としての一つの儀式だった。中世に発明された切腹は、武士がみずからの罪を償い、過ちを詫び、不明を免れ、朋友を救い、己の誠を証明するための方法だったのである。法律上の処罰として切腹が命じられるときは、荘厳なる儀式をもって執り行われた。それは洗練された自殺であり、冷静な心と沈着なる振る舞いを極めた者でなければ実行できなかった。それゆえに、切腹は武士にとってふさわしいものであったのだ。
(引用ここまで)
このあと、武士が顔色一つ変えずに自分の腹を切り裂いた様子について、
実例を挙げて事細かに描写されています。
そしてなんと、わずか8歳の少年が、
2人の兄に続いて見事に切腹した記録もあるそうです。
「切腹」について、実は人にほとんど話していないエピソードがあります。
私は平成4(1992)年6月に、
オーストラリア大陸を約1か月かけてドライブ旅行しました。
そのとき訪れた、大陸北部の常夏のリゾートであるダーウィンという街で、
偶然、元豪州兵士だという老人と会話を交わしたことがあるのです。
旅行中の日記にも書いていますが、その老人は、
第二次世界大戦時に日本軍と戦った経験の持ち主でした。
戦場で日本兵に撃たれたこともあったそうです。
そのとき確か肩を触っていたので、
肩のあたりに弾が当たったのでしょう。
さらに、おそらく捕虜になった日本兵だと思いますが、
目の前で切腹したのを見たことがあると話していました。
腹を切るジェスチャーを交えて教えてくれたので、
私の乏しい英語力でも何とか理解できました。
とても衝撃的だったため、
そのときの老人の、悲しみと怒りが混じり合ったような表情も含めて、
ありありと思い出すことができます。
つまり、今から70数年前まで、日本男児は戦場で命を懸けて戦い、
状況によっては切腹までする胆力を備えていたということでしょう。
「武士道」は、その時代まで確かに受け継がれていたのです。
日本の軍人が切腹をした話は、
他にも何かで読んだことがありますが、
実際に切腹を目の前で見た人に会ったのは、
貴重といえば貴重な経験だったように思います。
そんなことから、『武士道』に書かれた切腹の解説は、
何とも表現しがたい重苦しさで私の胸にのしかかってきます。
「大和魂」という私たちの民族精神について
(引用:第十五章より)
武士道は、その生みの親である武士階級からさまざまな経路をたどって流れだし、大衆の間で酵母として発酵し、日本人全体に道徳律の基準を提供したのだ。もともとはエリートである武士階級の栄光として登場したものであったが、やがて国民全体の憧れとなり、その精神となったのである。もちろん大衆はサムライの道徳的高みまでは到達できなかったが、武士道精神を表す「大和魂」(日本人の魂)という言葉は、ついにこの島国の民族精神を象徴する言葉となったのだった。
(引用ここまで)
武士道精神が、現代の日本にどれだけ生き続けているのか、
ひ弱に育った私にはよくわかりません。
しかし日本人として、
「大和魂」という言葉に強く惹かれ、
今も憧れ続けているのは事実です。
誇らしく自信をもって「私は日本男児である」といえる自分でありたい、
という思いが心の片隅にあります。
もちろん弱い自分にはおこがましいことだと承知していますが、
少なくとも「卑怯者」になってはいけないと、
時々自分にいい聞かせています。
「武士道」というと、何か時代遅れのような、
過去の遺物のようなイメージもあるような気がします。
しかし、それは決して古いものでもつまらないものでもなく、
何が正しいのかあやふやになった現代でこそ、
今一度思い出す価値がある「日本の精神文化」ではないでしょうか。
以前『武士道』を読み返したとき、そんなことを思いました。